仰高読書会論語小話1孔子と隠者たち

仰高読書会論語小話1

平成29年7月9日

孔子と隠者たち

仮名論語222頁3行目、?(あじか)を荷いて門を過ぐる者

仮名論語282頁3行目、楚の狂(きょう)接(せつ)輿(よ)

仮名論語283頁2行目、長沮(ちょうそ)桀溺(けつでき)?(ぐう)して耕す。

仮名論語285頁5行目、?(あじか)を荷なう丈人

この人達は隠者という人達です。

当時は、隠者が相当いたらしく、そしてそれ等の人は孔子を目の敵にしていました。今でもそれ等の人は孔子の為に名が残っていますが、当時も相応に有名な、その方面では認められている人達であろうと想像されます。

論語は妙は尋常にありで取り立てて風変わりな話、珍しい話題というものはそんなにはないのですが、論語の終わりの方になっていきますと、一つだけドラマチックな、劇的な情景をつくっております。

それは、微子第十八に多く出てくる隠者と呼ばれる人達との一種の人間の生き方の対立が、くっきりと出てきています。

隠者の生き方

隠者というのは、孔子の時代、今から2500年ぐらい前の時代に、あちこちの国が富国強兵を図りました。自分の国を豊にし、強くしようと考える。そのために必要なことは、当たり前のことですが、人材の抜擢です。

つまらぬ身分などにとらわれておりません。国を強くし豊にしてくれる、才能能力のある者は身分にかかわらず抜擢にするようになってまいります。

そういう気運の時に孔子はその気運に乗って、私ならば儒家のやり方で、私なりのやり方でお国の人を幸せにできます。この国を立派に導けますと言って売り込んで歩いています。一生涯売り込んで歩いているのです。

しかし、その時に、俺は売り込むどころか、そういう世界に入ることは嫌だ。うかつに抜擢されて多く用いられれば、何かの拍子に殿様が変わったとたんに殺されたとか、あいつは古い貴族たちとそりが合わんから真っ先にこいつを殺せという話になってみたり、一族皆殺しにあったり、仕事の出来る者はそれだけ目立つから危険が伴います。

だから、孔子のように売り込むのは俺は嫌だよ、それどころか、

名前を知られるのも嫌だ。

能力が有ることを知られるのも嫌だ。

あいつは勉強しましたねと、いわれるのも嫌だ。

ひっそりと隠れて無事に家族を養って世の中を終わりたい。

と思う人がいました。それを隠者と言います。

ようするに何処かに仕官をすると危険だからと言うので出てこない。この隠者となる人たちは本来孔子と同じように、古典と歴史についての深い修養があります。しかし、あえて世に出ようとしません。世に出ないんだから別にそれでよさそうなものだけれども、孔子が同じ教養、同じ学問をした孔子がただ一人青臭く俺は天下国家のために頑張るんだと言ってあちこちで自分を売り込んでいる姿を見て、なんとなくからかってみたい気分があるらしいのです。

よせよせ、何時まで青臭いことを言っているんだという風にです。

知識人の責任

孔子は、学問を治めた知識人が為政者として世に立って、世の中を幸せな方向へ導くように努力すべきだと考えていました。それが知識人の責任であるとし、自らは生命の危険を冒してまでも政治参加にこだわり続けました。

仮名論語22頁5行目、見義不為無勇也義を見て為さざるは勇無き也仮名論語232頁1行目、有殺身以成仁身を殺して以て仁を成す有りというわけです。

自分自身が隠者になろうとは考えもしなかった孔子ですが、決して隠者の生き方を誹謗中傷するようなことはありませんでした。隠者たちから皮肉を言われたり、からかわれたりした時でさえも、223頁1行目、果哉、末之難矣果なるかな、之を難きとするなきなりとか285頁1行目、鳥獣不可与同群鳥獣はともに群を同じくす可からずなどと嘆息したのみです。

それどころか論語には、隠者的な処世を賢明な態度として承認している章もあります。104頁6行目、危邦不入乱邦不居天下有道則見無道則隠危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば則ちあらわれ、道無ければ則ち隠る202頁2行目、邦有道危言危行邦無道危行言孫邦に道有れば、言をたかくし行いをたかくす。邦に道無ければ、行いをたかくし、言はしたがうなどがそれです。孔子は自らが隠者となることについては否定し続けましたが、隠者として生きている者に対して批判的な態度をとることはなかったように思われます。111頁6行目、意必固我がない、つまり意なく、必なく、固なく我なし。絶四と言われる孔子の性格が、ここに現われているように思えてなりません。

周りの者への配慮

孔子は、自分の周りの者や、あるいは既に隠者の処世を実践している者に対して、あえて危険を冒してまでも積極的に政治参加することを望まなかったようです。22頁5行目、見義不為無勇也義を見て為さざるは勇無き也とはいうものの、自分自身はいざ知らず、他人は蛮勇を奮ってまで、政治参加にこだわり続け、犬死にするというようなことまで望んでいたわけではなかったようです。

私自身、隠者というと世を捨てた人という印象を強く持っていました。世の中や政治に失望し常に冷淡な態度をとる、一種のニヒリストではないと考えていました。日本の吉田兼好鴨長明からは、そのような印象を受けます。

しかし、中国の隠者は世捨人ばかりではありません。彼らは、ただ乱世を避けて身を隠しているだけであり、常に世に出る機会をうかがっているのです。時節が到来すれば、積極的に政治参加し知識人としての責務を果たそうと考えている、そんな隠者も多いはずです。

諸葛孔明などは、機会を得たことによって積極的に政治参加し、それこそまさに水を得た魚の活躍を行うことが出来たのです。

今日の民主主義と言われる社会においても、常に正論が通るとは限りません。会議などの席上で、論理的に筋道の通った意見が通るのではなく、声の大きい者の意見が通るという事も決して少なくないはずです。

このような場合に必要とされるのが礼ではないでしょうか。乱世では本領を発揮できずに隠者となっている優れた知識人達も、礼によって社会秩序の安定がはかられるならば、積極的に政治参加し、知識人としての責務をはたすことが出来るはずです。

論語の中で孔子の周辺に現れる隠者たちが孔子に対して無関心でおれず、冷淡な態度に徹しきれなかったように、孔子もまた政治的関心を断ち切った隠者たちを、ある意味では羨ましく思っていたのではないでしょうか。

論語普及会宮武清寛